20年前に師匠がわたしに
教えてくれていたことを、
再び紐解く時が来ました。
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自分にできるものなのかどうかの
判断をすること。
→すぐにできるのか?
→少し(10分くらい)練習すれば
(待ってもらえば)できるのか
→自分にはこれはできないのか?
(代わりに他の人を呼んでください、
と頭を下げ、潔く身を引くのか)
早めの判断で、他人にかける迷惑を減らすこと。
(以上、学生時代のギター日誌より)
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ここで、
何を見極めるか、
というとズバリ、
与えられた曲を
実際に十分なクオリティで
弾くことができるかどうか、です。
演奏する曲が届く。
まもなく本番。
何度も繰り返し練習している時間は
ほとんどとれない。
厳しいなら厳しいで、
今は自分にはできません、
と勇気をもって言わなくちゃいけない。
(注)
あくまで「今は」。
つまり、いずれ納得いくまで練習したら
満足に弾けるようになるかもしれないけれど、
ここではすぐに本番がやってくる想定です。
案外、これが、できない。
本当に、できない。
前のめりに何にでも手を挙げ、
挑戦することに意義を見出すのはいいけれど、
いくらやる気や誠意があったとしても、
実力が期待された水準に満たないために
十分にお役つに立つことが
できないどころか、
かえって人様に
迷惑をかけてしまう、
そんな事が、実際にあります。
技術や知識がともなう現場では、
「これはキビシイ」と感じたら
早い段階で潔く身を引くことも、
時には求められます。
かといって慎重になりすぎても
何も始まらない。
それに、あたりを見渡す限り
他に誰もできそうな人がいないなら
できなかろうが自分がやるほか、ないから
そのまま引き受けて、やりきる。
うんと背伸びしてコケそうになっても
こらえてがんばってやり遂げようとする。
それを積み重ねてはじめて、
少しずつチカラがついてくる。
それは、真実。
だから、やっぱり何らかの理由で
今の自分にはちょっと無理だと
感じる部分が多少あったとしても、
不可能を可能に!
どうすればできるか?
という具合に考える癖がついてきて、
そして、側の迷惑顧みず(!)、
このまま私にやらせてください、
と無謀にも言い張ってしまうのです!
その結果として
散々な展開となってしまったら、
その責任は最終的に、
わたしを起用した人に
ふりかかってしまいます。
やり直しのきかない現場なら
なおさらのこと。
じゃあ、一体、
どうすればいいんだろう?
その答えは、その時によって違うはず。
よくコミュニケーションをとって、
与えられた条件下、
限られた時間の中で
どうすればいいのかを
その都度とっさに見極めて、
一番いい判断が下せるようになりたいなぁ…。
未熟さと甘さを痛感させられる苦い経験に、
頭をたれ、手を合わせて反省しています。
日々の過ごし方を
大きく見直さなくてはいけません。
写真は、21年前、
ノートの1ページです。
当時、ギターの師匠がいて、
その頃18歳だったわたしは
それは熱心に師事していました。
今ではもう直接教えを
乞うことのできない人です。
わたしをスタジオ現場へ連れていき、
何気ない会話の中で
教えてくれていたこと。
聞き漏らさじ、と
走り書きしたノートは、
わたしの宝物です。
今、早くも自分自身が
当時の師匠の年齢になりました。
現場に立ち、
リアルな肌感覚の経験を経て
昔、教えてもらった言葉を思い起こし、
どうしようもない
ブザマさに向き合いながら
一つ一つ噛み締めています。
●ギターを手に、ひらめきをつづる。
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